新老人の思想/五木寛之

新老人の思想 (幻冬舎新書)』を読んだよ。旧老人の違いとは…。

五木寛之氏の老人シリーズ第2弾。いや、第2弾というのは、アッシの勝手な想定。でも、『下山の思想』と同じく、「日刊ゲンダイ」に連載していたもの、且つ内容的にも近いから。

連載ものを並べ直して、編集したものだけど、繰り返し主張されたものがあったり、言い方を変えて表現された主張があったり。ということで、通底する思想を本書から抽出してみる。

ひとつ目は「老人階級」という考え方。もう高齢者層ではなく、階級だと。そして、老人階級は同世代間で相互扶助すべきだと。

簡単にいえば、元気で資産もある老人たちが、がんばって弱い同世代を支えることを考えるべきだろう。余裕のある老人は、年金を返上し、保険を使わず、うんと働いて、うんと税金を払えばいいのだ。
ということ。そう、敬老なんていう概念は、人生が50年だった時代に、60歳、70歳、それ以上の老人を大切にしようという発想だからね。特別でないものは普通にすべきなんだよね。

では、「新老人」とは何か?

いま、ほとんどの老人たちには、余生をさらに「充実して生きる」ことがすすめられている。時間と、ある程度の経済力をもった老人たちが、暴走したり、迷走したり、疾走したりしている。そんな新老人が目立つ時代になった。
と表現しているよ。うん、新老人の定義は分かるんだけど、なんだか、商業主義のターゲットにされているだけなんじゃないかと勘ぐれなくもないよね。

よくよく考えていれば、老人が元気なんてことはあり得ない。それを無理やりアンチエイジングとか言うけれども、やっぱりちょっと違うんじゃない?と。そして、

死を悪として見る文化、そして老いを屈辱として恥じる文化からの脱却こそが、私たちにいまつきつけられている直近の課題なのである。
つまりは、生き方ではなく、逝き方を考えるべきではないかと。
いやはや、アッシもそろそろ考えないといけない世代。年金のことを思うに、団塊の世代に使われてしまったら、ほとんど絞りカスほどの年金しか貰えないのではないかと思わず想像してしまったが、なんだか現実味を帯びてきたなぁ〜と。悲しい読後感でした〜。
新老人の思想 (幻冬舎新書)
新老人の思想 (幻冬舎新書)五木 寛之

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