大学の淘汰が始まった!/平山一城

大学の淘汰が始まった! (宝島社新書)』を読んだよ。とっくの昔に始まっているんだけど…。

本書は、産経新聞編集委員の筆者が「イザ!」というサイトで、<「大学」をゆく>というブログに書いていたものをまとめたもの。ブログのタイトル通り、現在の日本の大学の現状、特にいわゆる「改革」の状況をレポートしたものだよ。

では、早速だけど、その進捗はどうなっているのか。2013年のベネッセの調査で指摘されたこと。ちょっと長いけど、引用。

中央教育審議会中教審)の大学教育に関する答申は、1997年の『高等教育の一層の改善について』から2012年8月の『新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて〜生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ〜(質的転換答申)』まで6度、出された。しかし、大学教育の課題は16年前の97年答申と変わっていない、と。
そう、課題が示されて16年も経っているのに、その課題が達成されていないということだよね。多分、答申も手を変え品を変えて、繰り出されているんだろうけど…。

とは言え、大学が何もしなかったわけでもないんだけど、それが正しい方向だったかというと、それも疑問。さらに追い打ちをかけるように、こんな話も出てくるよ。

1990年代から繰り返された改革論議。それらが効果を上げていないのは改革が「社会に役に立つ学生をつくる」という実利重視で進められ、大学本来の姿を見失ったことに起因する。そう批判する論者が少なくない。教養学部が解体され、「古典」の権威も失われた。
そう、ここで登場するのが「教養」。リベラル・アーツとか、教養教育とか、最近になって大学業界ではよく聞くキーワードになってきているよね。そもそもは教育課程の大綱化で競争原理を導入し、大学の質の向上を狙ったようだったんだけど、結局見事に失敗というわけで…。

最後に初等中等教育との関係。中教審の答申で副題になっているは「生涯学び続け、主体的に考える力」と、新学習指導要領が目指す「生きる力」。まさに繋がっているというか重なっているというか。日本人の教育をどうしていくか、大学だけの問題として考えてはいけないよね。ん、だからと言って大学が何もしなくていいということには、当然ならないよね。

大学の淘汰が始まった! (宝島社新書)
大学の淘汰が始まった! (宝島社新書)平山 一城

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