この国のかたち〈6〉/司馬遼太郎

この国のかたち〈6〉1996』を読んだよ。海軍の成り立ちも様々。

司馬遼太郎の「この国のかたち」シリーズも本書で完結。チビチビ読み続けたけど、何年かかっただろ。当初は幕末から明治期の日本史を知ることだけでも楽しかったけど、本書はそれだけでなく、日本人に通底するものは何かということを考えさせてくれるわけ。それがこのシリーズを読み続けた理由かもしれない。

本書は最初の三分の一が「この国のかたち」シリーズの連載分、残りは随想集という構成。

最後の「この国のかたち」シリーズの話題は海軍。幕末から日露戦争までの海軍の役割とその変化について、まとめているよ。で、幕末で海軍と言えば、勝海舟

国内に充満している攘夷熱に対し、正面から開国論を唱えることなく、「海軍」という風孔をあけることによって、攘夷論の閉塞に一石を投じたともいえる。
と筆者。これで、攘夷派の坂本龍馬は開国派に豹変するわけだし。♪海は広いな大きいなぁ〜、行ってみたいなよその国〜♪ってことだよね。
そして、日露戦争での劇的な勝利。しかし、その後はそれが重荷というか足かせというか、維持するコストが膨大になっていく。さらに、燃料の問題。石炭から石油に移っていけば、石油を輸入しなければいけない日本はさらに不利になる。軍縮は渡りに舟のはずだったんだけどね。
ということで、日本近現代史を海軍という視点から見るのも興味深いよね。

後半の随想集からは、言語について。ここでは、文章日本語では、論旨と描写を明晰にするための型というものが存在すると言う。

つまりは、その型に参加することによって、本来、内蔵されていてそとに出るはずのない自分の思想や感情、あるいは観察などを、過不足なく外部にむかって出すことができるのである。型の成立が一国の文章言語の共通化への成熟というものだというのである。
文章言語の共通化への成熟とは、単純にいうと大衆化。新聞から週刊誌、さらにはインターネットの時代。誰でもが文章による情報発信をするようになったのは、この型のお蔭なんだろうね。そういうアッシのこの文章も型によって成り立っているのかなぁ〜。
この国のかたち〈6〉1996
この国のかたち〈6〉1996司馬 遼太郎

文藝春秋 1996-09
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