身近な雑草の愉快な生きかた/稲垣栄洋,三上修

身近な雑草の愉快な生きかた』を読んだよ。愉快だと思っているのは人間だけで…。

久しぶりの植物もの。たまにこの方面を読みたくなるのはどういうわけか自分でも分からないけど、まぁ相変わらず植物は気になっているということ。
で、今回は雑草。「今回は」って書いたけど、基本的に雑草系は多いかな。やっぱり一番身近な植物は雑草だからね。

ということで、本書に登場する雑草は全50種。これは雑草なのか?と思うものも幾つか登場するけれども、その点は筆者の判断に任せる。でも、そもそも雑草という植物はないし、そんなカテゴリも無いわけだからね。

では、どんな愉快な生きかたなのか。アッシが気になったのは自家受粉。ホトケノザとかツユクサの例があって、その記述が読み物としても楽しめるよ。
ホトケノザの特徴は、その花弁。まるでお喋りしている口のように見えるよね。そして、夏になって花粉を媒介するハチが少なくなると、その口を閉じて閉鎖花となり、自家受粉する。その様子を、

無駄口は叩かないということなのだろうか。あれだけ饒舌なホトケノザさえ、口を開くべき時期と、口を閉じるべき時期をわきまえているのである。
と表現しているよ。

もう一つのツユクサは突き出た2本の雄しべが特徴だけど、これも最後は自家受粉。

ゴールを狙うことだけを宿命づけられた自慢の2トップは、虫が来ないときには、あっさりとオウンゴールを決めてしまうのである。
と。この比喩に座布団あげてもいいよね。

最後はヒメムカシヨモギでの項の話題。ヒメムカシヨモギそのものの話ではなく、植物の葉のつき方は「葉序」と呼ばれているのだけれども、その葉序はフィボナッチ数列に従っているのだと。しかも、植物の葉序が作る数列を続けていくと、黄金比の逆数に近づいていくのだと。あの美しい黄金比に…。

自然の摂理の前では、人間の知恵など本当に小さな存在なのだろう。名もなき雑草さえ、私たちが遠くおよばない偉大な数学者なのである。
と筆者。雑草の話題から数学が飛び出るとは…。でも、それを発見した人間も偉大だよね。

さて、雑草の本はたくさん読んでいるけれども、読めば読むほど道端の花が雑草には見えなくなってくるアッシ。これって、雑草に対する愛着なのかなぁ〜。

身近な雑草の愉快な生きかた
身近な雑草の愉快な生きかた稲垣 栄洋 三上 修

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