宮本常一『忘れられた日本人』を読む/網野善彦

宮本常一『忘れられた日本人』を読む (岩波現代文庫)』を読んだよ。いわゆる常民の歴史。

歴史学者網野善彦氏の4回日に渡る講座をまとめたもの。テーマは表題通り宮本常一氏の『忘れられた日本人』。この『忘れられた日本人』という本。
アッシ自身は、本屋で見かけた時に何故か引かれるものがあって、以前に読んだことがあったけど、その時の印象は当時の人々の生き生きと生きる姿。すごく人間らしいというか、明るいというか。現代に比べれば、まったく不便だし、環境も悪いけど、そんな暗いイメージなどまったく無し。そんな日本人がますます好きになったというか…。

前振りが長くなってしまった。では、網野氏はこの『忘れられた日本人』をどう読むか。
第1回は全般論。特に宮本常一氏、その人自身の話が中心。第2回でいよいよ本文について語る。
その冒頭で、『忘れられた日本人』の二つの大きなテーマを語っているよ。ひとつ目は、

<前略>この本のテーマの一つは女性・老人・子供、そしてもう一つは遍歴をする人びとではないかと思います。
と言い、もう一つを、
<前略>日本列島の社会のあり方が一様ではなく、東日本と西日本との間に非常に大きな差異があるということです。
と言っているよ。

で、最初のテーマで中心になるのは「女性」。女性の労働力とか家庭内での力関係とか、今までの歴史学の中では、注目されていなかった部分に光を当てていることを指摘しているよ。その結論として、

このように、女性の力なしに日本の近代化はありえなかったのです。しかも、それはただ安価な労働力として動員されたというのではなくて、女性自身の長い歴史を背景にした労働と技術の伝統があってはじめてなしえたという側面が、意外なほど今まで見落とされてきたのではないかと思います。
と言う。うん、男性から見た歴史だけが歴史というわけではないよね。

そして、もう一つのテーマの日本列島のあり様について。フォッサマグナを境にはっきりとした差異を認め、東西で社会の質まで違うのは国が違うということと同質であるとまで言っているような勢いの筆者。さらには、海に囲まれた日本は孤立しているという考え方まで否定するよ。海に囲まれているが故に海路を利用した交通網がありとあらゆるパターンで存在するからね。

最終回の第4回は、筆者持論の「百姓とは農民ではない」を『忘れられた日本人』を資料として展開する。この持論は他の本でも読むことができるので、ここでは省略。
最後に筆者の「学問とは何か」が述べられているけれども(その内容は本書を参照)、学問とは永遠なりということなんだね。そう、多様な視点から物事を追求すれば、そうなることは必然なのかもしれないね。

宮本常一『忘れられた日本人』を読む (岩波現代文庫)
宮本常一『忘れられた日本人』を読む (岩波現代文庫)網野 善彦

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