イギリスの大学・ニッポンの大学/苅谷剛彦

グローバル化時代の大学論2 - イギリスの大学・ニッポンの大学 - カレッジ、チュートリアル、エリート教育 (中公新書ラクレ)』を読んだよ。エリート教育も必要に思うけど…。

グローバル化時代の大学論」シリーズの2冊目。シリーズになっているけど、あとは何が続くのだろうかという疑問が残る。でも、それは本書の内容には関係ないので、それ以上は突っ込まないことにする。もしかしたら、筆者が変わるのかもしれないね。

シリーズの1冊目『アメリカの大学・ニッポンの大学』は復刻版という形で筆者が大学教員に成り立ての頃の話。逆に、本書はまさに筆者の今。イギリスのオックスフォード大学をレポートしたもの。書き下ろしではないけれども、しっかりまとめられていているよ。

キーワードはカレッジ、チュートリアル、エリート教育の3つ。
まずは、カレッジ。いわゆる学寮制というもの。学科を超えた学生、教員と生活を共にする学習環境。専門的な科目を学ぶというより、教養教育的な教育を担う部分だよね。ただ、カレッジを維持するには、それなりの資金が必要なわけで、それが3つ目のキーワードであるエリート教育に関連してくるよ。

そして、チュートリアル。こちらは完全に個別指導。カレッジで行われるもので、読み書きを中心とした個別指導により、批判的な思考力を育てるもの。こうした教育の上に、ユニバーシティでの専門教育が並立しているわけで、その相乗効果は学生を育てるには十分な教育なんだよね。

そのような教育だから、当然成績評価の仕組みも違うわけで、日本の大学のように授業への出席点を加味したりなどは有り得ない。当然のように授業には出席するだろうし。成績評価は試験一発。採点も授業担当者以外の教員が採点する。

このような仕組みには、当然ながら相当の時間とエネルギーがかかる。大学教育の質を担保するためのコストである。そして、当然の結果として成績インフレは起きない。
と筆者。学習時間で教育の質を担保しようとしている日本の大学とはかなりの格差があるね。

そして、ニッポンの大学の問題。日本ローカルの中で競い合っているだけで、社会も大学も十分だったニッポンの大学。それを筆者は「コップ」の中での競争と表現する。つまりは、井の中の蛙。ところが、昨今ではそんな状態を無視できなくなってきて、盛んにグローバル化が叫ばれている。それでも、筆者は、

とはいえ、そこで行われている議論は、大学とは何かという本質的な議論を素通りしているように見えてならない。
と言う。社会が求める人材なのか、育てたい人材なのか、鶏と卵の議論を繰り返しているのがその証左だとも。そこで出てくるのがエリート教育論なんだけど、大学院をそのエリート教育の場とするという考え方なんだと思う。そう、ニッポンの大学もそんな方向に進んでいくような気がする。今の学部教育は大衆向けの教育だからね。
グローバル化時代の大学論2 - イギリスの大学・ニッポンの大学 - カレッジ、チュートリアル、エリート教育 (中公新書ラクレ)
グローバル化時代の大学論2 - イギリスの大学・ニッポンの大学 - カレッジ、チュートリアル、エリート教育 (中公新書ラクレ)苅谷 剛彦

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