日本人の誇り/藤原正彦

日本人の誇り (文春新書)』を読んだよ。藤原先生の日本史。

藤原先生は久しぶり。少し前までは、スバリと切れ込む歯切れの良い文章で、日本を救おうという姿勢が面白くて、度々著書を読んでいたけど、何冊も読むと、流石に食傷気味に。でも、こうやって改めて読むと、やっぱり先生の文書は面白い。面白いというか、訴える力が伝わってくるというか、そんな感じ。

さて、本書。危機に立つ現代日本を立て直す為に、日本人は何をすべきかを考える。そして、その解決方法は、対処療法的なものではダメ。

実は部屋をきれいに清掃しても解決にはなりません。二度と散らからないような仕組みにすることが根本的な解決になります。美しい解決なのです。一つ一つを丹念に解決しようとするのは美しくないのです。全体を貫く基軸を変えて一気呵成にすべてを解決することが美しいのです。
と、藤原先生。数学者らしいモノの捉え方だよね。

そして、藤原先生の日本近現代史
東京裁判南京大虐殺(という事件として、アッシは歴史で習ったけど)について、事実を積み重ねて詳細に分析する。その結果、東京裁判はほとんどがまやかしの裁判であり、南京大虐殺も「大虐殺」という事実は証拠として残っていないということが分かってくる。すべてが、アメリカの日本人に対する「罪意識扶植計画」の目玉として使われているだけだということ。日本人はその罪の意識をまんまと被ったまま、戦後何十年と過ごして来てしまったわけか…。

さらに、藤原先生の百年戦争という捉え方。

日本近代史における戦争を考える時に、満州事変頃から敗戦までを一くくりにした十五年戦争や昭和の戦争がありますが、このように切るのは不適切と思います。その切り方はまさに東京裁判史観です。林房雄氏は『大東亜戦争肯定論』の中で、幕末の一八四五年から大東亜戦争終結の一九四五年までを百年戦争としました。私の考えはそれに近く、<中略>ペリーの四隻の黒船による騒然から紆余曲折の末に日本が曲がりなりにも自力で歩きはじめるまでを百年戦争と見るのです。
と、考えているよ。そう、歴史は流れているもの。どこからどこまでと切るのは難しい。黒船が現れた時から、対外国との戦争は始まっていたと考えてもおかしくないよね。

では、この百年戦争とは何だったのか。
日本の場合、欧米の帝国主義植民地主義とは一線を引いてもよいのではないか。欧米人のような大局観の無さに起因して、欧米列強には勘違いされた感もあるけれども、武士道精神による志の高さゆえの戦争だったのかもしれないね。

最後に、

日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義植民地主義さらには人種差別というものに終止符を打つという、スペクタキュラーな偉業をなしとげたのです。日本人のだれもそんなことを夢想だにしていませんでしたが、結果的に世界史の大きな転機をもたらしてという点で、何百年に一度の世界史的快挙をやってのけたと言えるでしょう。
と。結果論的にできてしまうという日本人。武士道精神と同様に欧米人には理解できない思想なのかもしれないね。
日本人の誇り (文春新書)
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