青春漂流/立花隆

青春漂流 (講談社文庫)』を読んだよ。アッシの青春は20代で終わりだったか。

雑誌「スコラ」に連載されたいたものが単行本となり、最後に文庫になったもの。「スコラ」自身が懐かしいし、「スコラ」が青春の思い出という輩も多いかも。著者は立花隆氏。彼も「スコラ」に書いていた時代があったのか…。

で、本書。
主に日本の各界で活躍する11人の若者たち(20〜30代)を取材し、その青春の生き様をまとめたもの。今はその筋では有名だけど、そこに至るまでの経緯はいろいろ。でも、全員に共通するのが、まさに「漂流」という言葉。自分は何なのだろ、何ができるのだろと様々な職業、日本と世界各地での経験を経ているわけ。
そして、ほとんどの人たちは、学校では落ちこぼれ。勉強が嫌いなのではなく、学校生活が合わなかったという感じ。つまり、彼らの漂流は10代から始まるわけ。で、その漂流が終わるのはいつか。早い場合は10代後半、遅いと30代前半まで、しかも結婚してからも漂流をし続ける。これは奥さんは辛いかも。

一例を紹介。
自転車のフレーム・ビルダーの長沢氏の項でアッシがピンときた箇所を引用。

私はこの長沢の言葉を面白く聞いた。芸術家や職人など、一芸一道をきわめた名人、達人たちが、その極意を問われたとき、結局、それは型をつかむことだと答える人がほとんどなのである。
長沢は異郷の地で青春を賭けてがむしゃらに働くうちに、諸芸の達人と同じ域に達してしまったといえるのではないだろうか。

ここでいう、異郷の地とはイタリア。そして、型をつかむとは、いかにも日本人っぽいよね。イタリアにいても、ものの考え方、とらえ方は日本人なんだよね。

最後に、エピローグの一文を紹介。
空海遣唐使船に乗り込んで、唐で頭角を現わすまで、彼は無名の留学僧だった。その後の活躍は日本の歴史に残っているけれども、遣唐使船に乗り込む前は謎に包まれている。まさに、「謎の空白時代」だ。

空海においてそうであったように、青春は誰にとっても「謎の空白時代」としてある。

そして、「船出」。「謎の空白時代」の蓄積があってこその「船出」なのだと、筆者。
ただ、ここで大切なのは、「謎の空白時代」での「求めんとする意志」。やっぱり、漫然と過ごしてはダメなのだ。青春はとうの昔に終わってしまったアッシだけど、「求めんとする意志」は常に持っていたいなぁ〜。

青春漂流 (講談社文庫)
青春漂流 (講談社文庫)立花 隆

講談社 1988-06-07
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