大学とは何か/吉見俊哉

大学とは何か (岩波新書)』を読んだよ。課題図書みたいだけど、そうではなく…。

すごくオーソドックスなタイトルなので、古い本かと思うかもしれないけど、意外と岩波新書の新刊。本屋で見つけて、すぐに図書館で予約。どうせすぐには読めないだろうと思っていたけど、なぜかすぐに貸出可能に。当方は夏休みで、タイミングが良すぎる…。

さて、本書。基本的には、「大学の歴史」。12世紀の中世ヨーロッパで生まれた大学の趨勢とその影響を受けながら生まれた日本の大学の歴史が書かれているよ。タイトルにある「何か」については、それらの歴史を受けて筆者がどう考えるかを最後にちょこっとまとめた感じ。だから、「何か」の答えを期待するのではなく、歴史を振り返って、読者がどう考えるかということなんだろうね。

では、その大学の歴史とはどんなものであったのか。
まずは、15世紀までにヨーロッパ各地に広がっていた大学。全欧で75校ほどあったらしいが、各分野での教授内容には地域差がほとんどなかったという。

中世の大学は、いずれもキリスト教の正統的信仰観念に基づき、イスラム経由で復興したアリストテレスを中核とする古代ギリシアの知を規範としていたから、画一化志向はそうした学問内容からも裏打ちされていた。
そう、教えてるものが決まっていたということ。しかも、すべて共通言語はラテン語。画一的かもしれないけど、それが正しい道だと考えていたんだろうね。さらには、どこの大学でも同じ内容の授業が受けられるというメリットもあるわけ。現代と同じように大学が「選ばれる」時代だったのかも。

その後、大学は第一の死を迎える。その要因の一つが、近代知のパラダイムの浮上。これにより、大学は近代知の主体ではなくなった。それどころが古臭い機関に成り下がっていた。で、その近代知のパラダイムとは何か。それは印刷技術の発達。

出版がメディアとして生み出す知のネットワークを支えていくのは、「団体」の論理ではなく「市場」の論理である。
ここから、筆者の大学はメディアであるという論理に繋がっていくよ。そう、大学はメディア。となると、現代知のパラダイム、インターネットと大学の関係はどうなるのだろう。インターネットの発達により、大学は第二の死を迎えるのだろうか。

後半は日本の大学について。その設立の経緯が詳細に記録されていて、ギョウカイ的には勉強になるよ。そして、読めば読むほど、大学と社会は密接な繋がりがあることがよく分かる。大学の自治なんて、社会があってこそのこと。第二の死を迎えないためにも、社会の動きを見据えていかなくてはダメだよね。

大学とは何か (岩波新書)
大学とは何か (岩波新書)吉見 俊哉

岩波書店 2011-07-21
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