この国のかたち (4)/司馬遼太郎

この国のかたち 〈4〉』を読んだよ。まだまだ、日本史は奥が深い。

このシリーズもやっと4冊目。年代的には1992〜1993年だから、もう20年も前。それでも、戦後的には40年も経っている。その段階で明治維新から戦前の日本を振り返る。司馬的には、明治末期から終戦までは、本シリーズのキモ的な位置付けなんだよね。

どうしてなのかと考えれば、この時代の結果が現代ニッポンの有り様に密接に関係しているから。
例えば、九段上の靖国神社。何かと話題になる神社だけど、その歴史的な意味は単なる説明では分からないよね。司馬的な解説は、戊辰戦争での戦死者たちの死を”私死”から”公死”に変えたものであると言っているよ。そう、それ以前は、藩という法的には”私”となる組織に仕えていたわけで、これが新国家による”公”としての死とする必要があったのだと。まさに、”国民”の成立だよね。

さて、本書のキーワードの一つが、4回にも渡って書かれている「統帥権」。統帥権を誰がどのように行使するかという点で、幕末からの日本は曖昧になったという点がポイント。その先陣が、慶喜戊辰戦争にあっても、その統帥権を用いることはなかったし、薩摩藩でも藩父島津久光は彼の知らぬまに藩軍は家臣の西郷隆盛に動かされていたわけだし。長州藩でも然り。司馬はこれを、

これによって、わが国の軍隊における統帥権のあいまいさは、すでに幕末にきざしていたといえる。
と解説しているよ。
結局、そのあいまいな統帥権は昭和の陸軍に遺伝する。
昭和陸軍軍閥は、昭和六、七年以後暴発をつづけ、ついに国をほろぼしたが、その出発は明治初年の薩摩系近衛兵の政治化にあったといっていい。
とも。

その他、中国や朝鮮半島との関連も。まさに内田樹先生言うところの辺境と中華の関係。改めて認識できたよ。

最後は、もう一度統帥権
トップはお飾りという日本の変な文化はこの時代の遺物なのかもね。統帥権といえば、今の言葉で言えば、ガバナンス。うちの職場もガバナンス強化が課題だけど、この文化がなぁ〜。戦前日本の暴走までいかないけど、迷走しているよなぁ〜。

この国のかたち (4)
この国のかたち (4)司馬 遼太郎

文藝春秋 1994-07
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おすすめ平均 star
star統帥権に関する考察
star重複あり
star昭和の戦争に対する司馬の見方を明確に示していて興味深い

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