環境を知るとはどういうことか/養老孟司,岸由二

環境を知るとはどういうことか (PHPサイエンス・ワールド新書)』を読んだよ。流域思考をいう新たな発想。

ご存知、養老先生と進化生態学の岸由二氏が対談の形式で、三浦半島の小網代や多摩三浦丘陵の環境についてあれこれと語り合う。語り合うと言っても、そのほとんどが、岸氏の話なんだけど。

まずは、二人で三浦半島の小網代を散策。その中で早速「流域」という言葉が出てくる。その定義としては、「雨水が川に集まる大地の全体」だと説明しているよ。この説明だけでイメージが湧く人は地理とか地学に詳しい人なんじゃないかなぁ〜。
そして、この小網代では、この「流域」の姿がワンセットで全部見られるのだと。さらに、近郊緑地保全区域に指定された理由として「完結した自然状態の流域生態系」であることだったとか。
うん、想像するだけでも、貴重な場所だと理解できるような。当然、国内の大きな河川では有り得ないこと。要は、源流から河口まで、人工的に破壊されているものが一切無いと言うんだから、凄いよね。

そして、この「流域」が大地の構成単位であるという。小網代を1時間も歩けば、地べたの実感というか大地のデコボコを感じることが出来るのだと。そして、小網代の相似形拡大が鶴見川になり、多摩川になり、利根川になる。う〜む、ますますイメージ湧くなぁ〜。この説明でイメージが湧かなければ、小網代に行ってみるべきなんだろうね。

流域思想を上手く利用したのは江戸幕府であるという見解も面白いよ。

江戸幕府が世界に冠たる封建制度を構築できたのは、江戸幕府が各藩を流域単位で上手に抑えたからです。<中略>江戸時代には不思議なことに土地争いがほとんどありません。これは、おそらくどんなに開発しても、どんなに干拓しても、隣の藩と競合しないように上手に地形で分けられたからでしょう。その地形の分け方は流域の地形にそっていたのです。だからこそ、地方の権力が地形に封じられ、見事な封建時代が成り立ったんだと思います。
と言い、それをぶっ壊したのは蒸気機関車だとも。そう、流域を無視し、川を渡り、分水嶺を越えていく。まさにそうかもしれないと思えてくるよね。
さらに、流域思想を破壊したのは、行政区域。流域を無視している訳だからね。その例として、鶴見川を上げているよ。源流は東京都。神奈川県を一旦通過し、再び東京都に入り、河口は神奈川県。だから、人の住む場所の意識が流域から離脱していく。岸氏としては、「どこに住んでいるの?」と聞かれたら、「鶴見川流域です。」と答えられる市民を増やしていきたいと。

最後は養老先生の新たな視点。
緑のパッチワークを取り上げて、あらゆる生物がその完成に関わっていることを、

自然とは「解」である。
と表現しているよ。うん、凄くシンプルな表現だけど、その本質をズバリ言い当てていて、美しいよね。

アッシの生まれ育った流域は石神井川流域。源流もほぼ認識しているし、その流域の大地のデコボコも把握しているつもり。日常の生活でそれを意識することはほとんどないのだけれども、心の奥底にそんな流域意識をしまっておいて、たまに思い出すのも悪くないなぁ〜などと思うのでありました〜。

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