世界は分けてもわからない/福岡伸一
『世界は分けてもわからない』を読んだよ。どんなに頑張ってもわからないって…。
ご存知福岡先生の科学読み物。分子生物学を題材に、人間はつねにあるものの切り取られた一部しか見えていないことを言っているよ。
キーワードとしては、マップラバーとパワーズ・オブ・テン。話のネタはいくつもあるけれども、たびたび顔を出すのがこの言葉。特に、パワーズ・オブ・テンは本書のタイトルを代弁する言葉かも。日本語だと10のべき乗。当然、マイナスのべき乗もあるわけで、-10乗の世界に入れば、物の見方が変わってしまうというようなことを言いたいわけ。
各章の終わりに、その章のまとめのようなことを言っているのだけれど、そこでは、前述のパワーズ・オブ・テンのそれぞれの事例のような表現が出てくる。
例えば、顕微鏡で細胞を観察していて、倍率を上げるとその瞬間、元の細胞のどの部分が拡大されたのかを見失う。
今見ている視野の一歩外の世界は、視野内部の世界と均一に連続している保証はどこにもないのである。だから、ある絵画から一部を切り取った絵であっても、それが絵として成り立ってしまう。これは矛盾でも何でもないわけだからね。
ミクロな世界に分け入って調べるインビトロの実験(試験管内での実験方法)についても同様なことを言う。
インビトロの実験は、ものごとの間接的なふるまいについて何の情報ももたらしてはくれません。ヒトの細胞はそこでは全体から切り離されているからです。本来、細胞が持っていたはずの相互作用が、シャーレの外周線に沿ってきれいに切断されているのです。確かに、「分けてもわからない」はずだよね。
ヒトの死の定義についても。死の定義は養老先生風なんだけど、逆にヒトの誕生とは?と細胞的に考えてみる。「脳始」とは何かとかを考えると、脳死がヒトの死を前倒ししたように、「脳始」はヒトの誕生を先送りしうるとも。
私たちが信奉する最先端科学技術は、私たちの寿命を延ばしてくれるのでは決してない。私たちの生命の時間をその両端から切断して、縮めているのである。ということになるね。
後半に入ると、なんだか毛色の違う話題に変化。ここで書いてしまうとネタばれになりそうなので書かないけど、分けてもかわらないことを言っているのだよね。
そう、私たちは時間すら分けて考える。
時間が止まっている時、そこに見えるのはなんだろうか。そこに見えるのは、本来、動的であったものが、あたかも静的なものであるかのようにフリーズされた、無残な姿である。ある種の幻でもある。私たち生物学者はずっと生命現象をそのような操作によって見極めようとしてきた。それしか対象を解析するすべがなかったのである。スーパージェッターが腕時計の龍頭を押すと時間が止まるように。
さて、世界を分けずに世界をわかることができるのだろうか。高校の時の数学。分けて考え見るとか、分けたものをひとつの固まりとして考えてみるとか、やっていたよね。
ヒトの脳は、分けてしか理解できない構造なのではないか。ということは、ヒトには世界は絶対にわからないのかぁ〜。
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