無人島に生きる十六人

無人島に生きる十六人』を読んだよ。いかにも明治の日本人っぽくていいなぁ〜。

明治32年のお話。千島列島の占守島で内地との連絡船として使っていた帆船・龍睡丸。この龍睡丸に16人が乗り込み、南洋の海に調査に出掛けるのだが、途中のミッドウェー島付近で座礁し、無人島にしばらく生活するというノンフィクション。
語り口的には、筆者が東京高等商船学校の実習学生だった時に、教官だった中川先生の体験談を聞き、それを物語りにしたものという風に語られているよ。

さて、龍睡丸はどのような経緯で難破したのか。実は1度目の難破を乗り越えて、日本に帰る際に2度目の難破に会い、無人島に暮らすことになってしまっている。
1度目は船が大破されることはなかったので、ハワイに寄って修繕することが可能だったけど、2度目は完全に岩礁に激突し、最後は大破してしまう。伝馬船に必要なものだけを積み、すぐ近くの無人島に上陸。その島は、草は生えているけれども、木は1本も生えていない。一番高いところでも4メートル。平均は2メートルほどの標高。水の確保にも難儀する。

で、他の漂流記との違いは、最初から一人の明確なリーダーが存在するということ。本書の場合は、龍睡丸の船長。無人島に上陸した晩に、船長は主な年配者を集めて、自分の決心をうちあける。

「きょうからは、げんかくな規律のもとに、十六人が、一つのかたまりとなって、いつでも強い心で、しかも愉快に、ほんとうに男らしく、毎日毎日をはずかしくなく、くらしていかなければならない。そして、りっぱな塾か、道場にいるような気もちで、生活しなければならない。」
と、心の土台を築く。

そういう心の土台があったからこそ、無人島の生活はさびしくも、たいくつもしなかったと語る。

ものごとは、まったく考え方一つだ。はてしもない海と、高い空にとりかこまれた、けし粒のような小島の生活も、心のもちかたで、愉快にもなり、また心細くもなるのだ。
そう、船長の決心により、気の弱くなる人は、ひとりもいなかったようだよ。

最後は、偶然にも日本の帆船に発見され、無人島での生活に終止符を打つんだけど、船長の挨拶をうけて、十五人の代表となり、ひとりの年配者が挨拶をする。

「この年になって、はじめて、生きがいのある一日一日を、この島で送ることができました。心が、海のようにひろく、大きく、強くなった気がします。」
と。究極の状態での経験は、人を育てるのだよね。

おろしや国酔夢譚』以来、漂流ものが気になるアッシ。その中でも本書は、いかにも明治の正しい日本人男子の生き方を示すものとして、共感すべきものが多いよ。そういう意味で単なる漂流記ではなく、ちょっとした人生訓なのかもね。

無人島に生きる十六人 (新潮文庫)
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