日本の歴史をよみなおす
『日本の歴史をよみなおす』を読んだよ。阿部謹也先生の名前も出てくるけど…。
阿部謹也先生の本の中にも、この本の著者、網野善彦氏の名前が度々出てくるけど、最終的には意見の違いがあって、仲良しにはなれなかったみたい。学者の見識というものは、そういうものなんだろうけどね。
そんなわけで、気になっていた筆者だったけど、このところの忙しさで、図書館に行く暇もなく、職場の図書館で長期に借りられるものを探していて、ようやくこの本を読む機会を得たというわけ。
さて、日本人は本当に日本の歴史を分かっているかというとそうでもないみたい。そこのところを深くえぐっていこうというのが本書の主旨。
まずは「文字について」。ひらがな、カタカナ、漢字と3種類の文字を使い分ける日本人。その昔はそれぞれの用途が今とは違っていたという。話し言葉として使われていたカタカナ。そして、律令国家が文書主義を採用したことにより、書き言葉として利用されていたひらがなが主に使われるようになった背景があるとか。さらに、この文書主義が文字をさらに普及されることになるわけ。いわゆる相乗効果か。関係ないもののようにみえて、関係があったんだね。
本書の中で多くのページ数が割かれているのが、「畏怖と賤視」について。阿部謹也先生の研究テーマにも繋がるもの。
非人の出現についての説明は、ケガレの問題から始まる。そのケガレに対して人びとは畏怖の感覚を持っていて、そのケガレを清める特殊な職能を持った非人に対してもそれに通ずる感覚を持っていたという。乞食もケガレを清める職能を持った人として捉えられて、人びとから怖れられていたとも。
さらに時代が進むと、社会的なものの見方も変わってくる。
自然がより明らかに人びとの目に見えてきたが故に、このようなケガレに対する畏れが消えていったのですが、それにともなって、ケガレを清める仕事に携わる人びとに対する忌避、差別観、賤視の方向が表に現れてくるようになったのだと思います。どうも、阿部先生の研究のヨーロッパの場合と同じようなパターンかも。
さらに時代が進み、江戸時代になるとこれを背景に、賤民身分の固定化という事態が作られていったのではないかと。
その他にも「女性をめぐって」では、男性優位という状態は昔から建前であって、実態は違っていたのではないかという話や、「天皇と「日本」の国号」では、天皇家出身者以外の人が天皇になる可能性のある事態がこれまで2度あった話など、アッシが習った日本史の教科書には書かれていないことや、認識が違っていたことなどが書かれているよ。
そう、今の日本がなぜあるのか、どうしてこういう状態なのかを知ることは、これからの日本を考えることに繋がるんだよね。歴史を学ぶこと、分かるということは、自分がどう変わるかということ…阿部謹也先生の教えです〜。
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