岡潔−数学の詩人

岡潔−数学の詩人』を読んだよ。数学者の生涯を追うのは楽し。

世界の数学者の生涯を記述した本は、巷に多いけど、日本の数学者の生涯をまとめた本はほとんど無いような…。そんな中でやっと出たのがこの本。数学者・岡潔の人生とその数学研究をまとめた本だよ。

岡潔の専門は「多変数解析函数論」。…と簡単に書いてしまうと一言だけど、かなり奥が深いものみたい。数学おたくのアッシにもさっぱりで、ほとんど理解不能かも。だって、一変数だって大変なのにそれが一気に多変数?難しさが等比級数的に拡大しそう。

さて、数学の難しさとは何だろうかと常々考えていたところ、本書の中にこんな記述があったよ。

岡潔が直面した難問は岡潔がみずから作り出したのであり、<中略>問題の出所は何かといえば、岡潔自身の心である。自然諸科学が物理的自然を究明するように、数学者は「数学的自然」を心に描いて究明する。<中略>数学の構想というのは、数学的自然のこのあたりのかすんでいる光景は、目を凝らして見ればこのようになっているのではないかと、だれも見たことのない景色を想像することにほかならず、その想像を確かめようとして、いくつかの問題が必然的に要請されるのである。
そう、フェルマーの定理やリーマンの予想のような未解決問題に挑戦するのも数学だけど、自分の心に描き出した問題を解決するのが本来の数学なんだろうね。ここに難しさがあって、人生を掛けてしまうような数学者が何人もいるんだろうね。
岡潔も自分の心に描き出された数学的自然を解決すべく、一生を数学に捧げるのだ。

さらに、数学を芸術と捉える考え方も岡潔にはあったみたい。フランスの数学者・ポアンカレは「数学の内容は調和の精神である」と言ったとか。岡潔にも異存はないものだったが、現代数学ではその芸術的な側面が減ってきていると不満を抱く。「数学は人の生み出す力の産物でなくては行き詰まる。このごろの数学は言葉の数学になっている」と。
この「言葉の数学」となんだろう。単なるツールになってしまっているということかも。

そして、「発見の鋭い喜び」について。岡潔昭和11年に広島で不可解な事件を起こす。ある夜、川の土手を帰宅途中の夜学生たちを襲い、帽子や書籍、靴、自転車などを没収して、笹原に寝そべって一夜を明かした。この事件で結局入院。しかも、勤務していた大学で休職を余儀なくされる。
この事件の背景について、「発見の鋭い喜び」が語られる。

数学的発見の独創の度合いが深ければ深いほど、発見の喜びはその分だけ深く、しかも岡潔はその分だけ孤独であった。世界でただひとり、岡潔だけが味わうことのできた喜びは決して共有されることがなかったのであるから、独創の運命というほかはない。<中略>数学上の偉大な発見の代償として、岡潔は必然的に事件に遭遇したと言えるのではあるまいか。
アッシ的には「鋭い」という形容詞がここで意味することを端的に表しているような気がするけど。

本書には、現代数学の多数の定理や問題が出てくるけど、アッシにはそちらの内容はまったく理解できず。だけど、このような日本人数学者の生き方があったことを、もっと多くの人に知ってもらいたいなぁ〜。

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