できそこないの男たち

『できそこないの男たち』を読んだよ。タイトルから発想できる内容ではないような…。

福岡先生の前著『生物と無生物のあいだ』は、分かりやすくて面白かったので、本書が上梓されてからすぐに図書館に予約。案の定、人気本のようで、ようやく読了。

内容的には、男女の差異を遺伝子レベルで分析し、比較した本という感じかな。と、簡単に言ってしまうとそうだけど、当然、奥は深いわけ。

導入は、精子を発見したレーウェンフックの話。そこに出てくる一つの教訓。

私は忘れかけていたことを自戒の意味をもって思い出す。私が膵臓の細胞を見ることができるのは、それがどのように見えるかをすでに知っているからなのだ。
初めて顕微鏡で細胞を見た学生にそれをスケッチするように指示すると、まったく覚束ないスケッチしか書けないと。それはこの引用の意味。つまり、知っているものしか見ることはできないのだと。

いよいよ本論に入る。まずは染色体の話。男性になる為のY染色体。これを発見したのは女性研究者ネッティー。チャイロコメノゴミムシダマシという甲虫を観察することで発見した。それにしても、この虫の名前が衝撃的だ。
普通、染色体はXX染色体を持つのが女性、XY染色体を持つのが男性な訳。で、この分岐点は何か?という研究で、次のような衝撃的な仮定が成り立つ。

つまり生命の基本仕様は女性なのである。Y染色体から男性化の最初の命令が発せられなければ、生命は仮にXYの遺伝子型を持っていても、デフォルトとして女性になる。
受精後の胎児を観察するとまさにそのことが分かるとも。そして、こう言い換えることもできる。
男性は、生命の基本仕様である女性を作りかえて出来上がったものである。だから、ところどころに急場しのぎの、不細工な仕上がり具合になっているところがあると。
人間は考える管であるという考え方も面白いよ。人間の構造をトポロジー的に考えると、まさに管と同じだよね。生命は管だと言っても過言ではないかも。

では、こうまでしてなぜオスを作らねばならなかったのか。生命のほとんどがメスでもよい。オスはほんの少しで十分。

ママの遺伝子を、誰か他の娘のところに運ぶ「使い走り」。現在、すべての男が行っていることはこういうことなのである。
オスの役割はそれだけ…。

ところが、今の世の中は、一見、オスが世界を支配しているように見える。これは何故か?筆者の回答は、「メスがよくばりすぎたせいだ」と言う。これはあくまでも筆者の想像の世界だから科学的ではないけれども、分かるような気もする。

最後にタイトルの話。結局、「できそこないの男たち」がいるというより、「すべての男ができそこない」っていうことなんだよね。

男性は女性のカスタマイズという表現が、またイメージが湧く。そして、そのカスタマイズの仕方も詳細で面白い。今回も分かりやすいし楽しめた科学本でした〜。

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