無思想の発見
『無思想の発見』を読んだよ。無思想という思想が意外にも凄い思想だった…。
養老先生の本は何冊目だろう。その中でも、硬派の部類に入る本書。日本人の考える思想について淡々と語る感じが、今までにはないかも。ラストの盛り上がりは、いつものようにエキサイトした感じが出ていて、良かったけど。
まずはいきなり世間論。個人なんてなくて、最小単位が世間であると。いきなり、阿部謹也先生風。嬉しいね。だから、自分探しとか流行っているけど、そんなものは無駄。探したってありゃしない。
人が世間のなかで生きるしかないことを考えたら、「他人が見る自分は本当の自分じゃない」で通るわけがないことは、すぐにわかるはずである。むしろ「他人が見る自分こそが自分だ」とすら、いえるかもしれない。そう、そうやって自分とは創るものなんだと。概念世界より感覚世界を重視せよとも云う。
そして、思想の話。無思想は非常に便利な思想みたい。無思想だから、「自然にそうなった。俺のせいじゃない。」と言いながら、自然になってしまったものに従うという思想。まさに無思想を思想にするわけ。これは面白過ぎるね。
そして、この思想は省エネ思想だという。
「思想なんかない」。そう思っていれば、臨機応変、必要なときに必要な手が打てる。たとえ昨日まで鬼畜米英、一億玉砕であっても、今日からは民主主義、反米なんか非国民、マッカーサー万歳で行ける。あ〜、無思想というより、なんと無節操…。
そして、どうなるか。「やむなきに至り」となる。現実が思想を圧倒するのだと。
そんな思想はいくら現実に圧倒されてもかまわない。その裏にこそ、真の不倒の思想があるからである。と、ちょっと皮肉っぽいし、やっぱり養老先生はニヒルだ。
それが、
「思想なんてない」
という思想である。
そして、この無思想は、日本人の特質に現れているとも。例えば、形を重んじること。思想がないから。そう、形は理屈じゃないなんて、日本人なら思うよね。形=現実だとすれば、やっぱり現実は思想を圧倒するわけだ。
と、こんな感じで、無思想の考察が続くわけ。無思想とは数字のゼロと同じだとか、エントロピーに例えたり、人が情報化したことで概念世界が発達した話とか、後半はかなり理系っぽいよ。
最後に養老先生の言葉。「自分が変われば、世界が変わる。」と。こ〜考えると、退屈なんてありゃしないんだよね。
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