死の壁
人間の死について考える。まずは前提条件。それは、人は必ず死ぬということ。究極の前提条件だよね。
そこで、「なぜ人を殺してはいけないのか」という命題。これは人間中心主義という考え方に問題があるという。人は自然というシステムの一部であるはず。自分の臨床の日すら予言できないのが、人間であると。
そして、「不死」について。
近代化は、人間が自分を不変の存在、すなわち情報であると勘違いしたことでもあるのです。それ以来、実は人間は「死ねない」存在になってきました。人間が情報化してしまうと、それは不変のものになってしまい、生まれた時の私も今の私も同じだと考えてしまう。そんなことは、有り得ないのにね。
医学的な死についても考察する。生死の境は何なのか。極論なんだけど、骨になったとしても、身体というシステムで繰り返されているサイクル活動は止まっていないものがあるかもしれないという。つまりは、医学的な死については定義できず、社会的な死のみが定義されているだけな訳だ。
話は日本人の死についての考え方に及ぶ。日本人にとって死とは、世間を外れることだという。人間という言葉がまさに「世間の人」を意味している。
その考え方からさらに発展すると靖国問題に辿り着く。世間から外れてしまえば、人ではないのだから、神様としておまつりするのが日本人。中国人は死んでもそいつはそいつだという考え方。
あ〜、解決できるとは思えない。
人命尊重にもユニークな見解。「人の命は地球より重い」という理念について。
その理念がタテマエなのはいうまでもありません。要るかどうかわからない橋を架けるのに、工事関係者は何人も死んでいるのです。車社会になって年間一万人も死んでいるのに、車を無くそうという人は少数派です。と。言われてみると納得。
死について、こんなに考えさせらる本は初めてかも。それも世間と密接に関連しているなんて。
『バカの壁』の続編というより、養老先生的世間論って言った方がいいかもしれないなぁ〜。
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