新しい道徳
『新しい道徳』を読んだよ。世の中は変わっているのに、道徳教育は変わらない…。
小学生の時に「道徳」という科目があったね。副読本のようなものを読んだりした記憶があるけど、他の教科の補修の時間になったり、普通のホームルームになったりしたことが多かったような…。でも、「道徳」というと、なんとなくうしろめたいことは出来ないなぁ〜って気分だった。でも、ただそれだけ。っていうか、当時の小学生にはそれでも十分だったのかもしれないけど。
筆者は、「成長社会」から「成熟社会」に変わった現代では、道徳のあり方にも変化があると指摘。そして、社会が要請する能力も「情報処理力」から「情報編集力」に変わっていると。本書には、そんな事例がたくさん有るよ。
例えば、「正解」と「納得解」の違いについて。「成長社会」では「正解」を求めることが要求されたけれども、「成熟社会」では「納得解」が重要なのだと。
成熟社会では、「正解」の導き方より「納得解」の導き方が人々の幸福を決めていく。なぜなら、正解が一つの問題なんて、ほとんどなくなってしまうからだ。この他に、大人の条件としての「納得解」という考え方も紹介されているよ。
その「納得解」を導くチカラが「情報編集力」だと。レゴをやるときに要求される力であり、世界観自体をつくりだす力であると。
小中学生の自殺についても。
マスコミにはきつい意見だが、有識者の間には「自殺報道の後には自殺が増える」という指摘もある。これって、アッシも以前からずっと思っていたこと。報道による間接的な影響って絶対にあると思うよ。
「夢」と「自由」についても言及。これはセットになっているみたい。技術と経験を蓄積することで、次のステップ(これが大人の「夢」)がイメージされてくる。よく「私には夢がない。」なんていう人がいるけれども、それはまだまだ経験不足だということでいいんじゃないか。「自由」についても同じ。「自由」には「責任」がついて廻るが、これは技術と経験がないと責任なんて持たされないわけだから。
さて、「新しい道徳」とは何か。自分で納得したものが新しい道徳なんだと筆者。大人にならないと、本当の道徳なんて分からないんだよなぁ〜。これが悩ましいなぁ〜。
新しい道徳 (ちくまプリマー新書 72) | |
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