春宵十話

『春宵十話』を読んだよ。数学者はエッセイがお好き?

数学者・岡潔のエッセイ集。1963年に刊行された単行本の文庫版で復刊したもの。

筆者の「教育は情緒である」という考えが本書で貫かれているように読めるよ。情緒は人間にしかない。しかしながら、戦後の教育は人間性を育てずに、動物性の面ばかりを育てているという。「きょうの情緒があすの頭を作る」とも。
そして、いまの教育に対する不安を、

二十歳前後の若い人に、衝動を抑止する働きが欠けていることである。抑止の働きは大脳前頭葉の働きで、大脳前頭葉を取り去ってもなお生命は保てるが、衝動的な生活しか営めない。試験のときでも、意味も十分にわかっていないのにすぐ鉛筆をとって書き始めるなどは衝動的な動作だ。
と述べているよ。
冒頭に書いたけど、これが1963年。今から40年以上前なのに、今でも通用する言葉。まったく古くなっていないのがすごく不思議な感じだよね。その頃からそういう傾向が始まっていて、岡先生はそれに早くから気が付いていたっていうことなんだろうね。

そして、小学校教育についての私見

だいたい小学校は道元禅師の「たとえば器に水を移す如くすべし」の時期である。文化に対する親和力を養うべき時なのであって、いわばすべてをとり入れるのである。次に批判でなく玩味をさせるのである。玩味とは長所に目を注ぐことである。欧米に対するいわれのない劣等感は、この時期にちゃんとやっていないのに由来するように思える。つまり学ぶべき時期に学んでおかなかったから、季節はずれにまねてばかりいることになるのである。
これは、まさに藤原正彦氏の教育論の原点のような。どうも数学者というものは、論理よりそれ以前の大元を重要視するんじゃないかなぁ〜って思えてくる。

最後にもうひとつ引用。

よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。咲いているのといないのとではおのずから違うということだけのことである。
岡先生も、春のスミレちゃんがお好きなようで…。
春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)
春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1 (光文社文庫)岡 潔

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おすすめ平均 star
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