歴史家の自画像―私の学問と読書

『歴史家の自画像―私の学問と読書』を読んだよ。阿部先生、最後の上梓。

主に読書に関する筆者のインタビュー、講演、論文、エッセイをまとめた本だよ。

前半のインタビューは、寛いだ感じで阿部先生が答えているので、読みやすく親しみやすい感じ。

そして、「文明としての学問」は新しい視点。文化と文明の違いについて述べているよ。まずはそれぞれの担い手が違うということ。文明の担い手は、文化の担い手からは足を抜かなければならない。そして、文化は地域限定、且つ不合理なものも含まれる。ところが文明は、合理的、普遍的なものであると。
そして、日本について。

はっきり言えば日本には文明がないのです。日本は文化国家ではあるけれども、文明国になろうとしたことはない。文明とは何かと言うと、さっき言いましたように、誰でも受け入れる。そして合理的で機能的だという性質を持っていますから、当然、出入国管理法などとうるさいことは本当は言わないほうがいいわけです。
うん、よ〜く分かる。

さらに引用。

これまで文明の担い手たちはうまくやってきたわけですが、最近はどうもうまくいかなくなってきた。つまり歴史学も文書だけではだめなのです。絵画を読まなければいけない。イメージ・リーディングをしなければならない。あるいは臭いとか色とかに目を向けなければならない。あるいはもっと別なものに目を向けなければいけないということが言われてきて、いわばモノを媒介とする観点に目を向けようとしていることは、文明の学問が自分の限界にやっと気づき始めてことを意味してます。
そう、合理的な文明では説明できない世界もある。これはクオリアのことを言っているのではないかなぁ〜。

さて、最後のエッセイ。阿部先生の名前の由来について、書かれているよ。

私の名前自体かなり勝手な遊び人だった父が、男の子を授かった機会に以後は謹みますと母に誓ってつけられたらしい。
などと、父親の思い出話など。題名は「亡き父との再会」。なんだか、自分の死が近いことを悟ってのエッセイかと思ってしまうが、本書のあとがきの日付が、2006年8月11日。亡くなったのがその翌月の9月4日のことだった。
改めてご冥福を祈ります。
歴史家の自画像―私の学問と読書
歴史家の自画像―私の学問と読書阿部 謹也

日本エディタースクール出版部 2006-11
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