デジタルを哲学する

『デジタルを哲学する』を読んだよ。

まだMS-DOSが全盛の頃、同著者の『哲学者クロサキMS-DOSは思考の道具だ』を読んだことがあったっけ。
この時も哲学と情報ってどういう関係なんだろうって思って読んでみたけど、結局よく分からなかった。でも、検索とかテキストとかいう概念はそこで本質を知ったような気がする。

で、本書。
もう一歩進んで、知識と情報の話が面白い。
なんでもかんでもデジタル化される今日にあって、ホントにそれがすべてか?って疑問を投げ掛ける。知の情報化が進むことによって、時間の要する熟考が疎んじられていくことを心配する。前著にあったように検索すれば済むことになるからか?
 でも、筆者が言うように、こういう情報って身に付かないんだよなぁ〜。勉強ってそんなもんじゃなかったし、それで済んだら学問なんていらないじゃん。

ライプニッツの逸話も面白い。
二進法の研究成果が当時の学会に理解されなかったライプニッツは、この計算方法が「日常的使用のためのものではなく、深い思索のために考案されたもの」だと言ったとか。なんと、300年掛かって実用化された思索。
コンピュータはその思索が無ければ誕生し得なかったのだから、現代における哲学も数学も本質を見極めるという目的があることには代わりはないと思うわけ。筆者は現代における哲学のありようを心配しているようだけども。

それにしてもライプニッツ。数学者だとばかり思っていたけど、ある一面は哲学者だったのか…。
哲学と数学、似ているようで似ていない?

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