イザベラ・バードの日本紀行/イザベラ・バード

イザベラ・バードの日本紀行 合本版 (講談社学術文庫)』を読んだよ。日本の評価は良いのか悪いのか…。

どういう経緯からか、既に記憶にはないのだけれども、読みたい本リストの古くからの常連が本書。講談社学術文庫で上下巻900頁ほどの厚みなので、尻込みをしていたのも事実だけど、Kindleから合本版がセールで出ていたのでget。しばらく積読状態だったけど。

時は明治初期。一人のイギリス人女性イザベラ・バードが横浜港に降り立つ。当時47歳だったとか。そして、20代の男性通訳をお供に、東京から東北地方を巡り、北海道南部を旅する。その様子をイギリスの妹に手紙で綴ったものをまとめたのが本書。

では、イザベラ・バードは当時の日本をどう記述しているのか。

上陸してつぎにわたしが感心したのは、浮浪者がひとりもいないこと、そして通りで見かける小柄で、醜くて、親切そうで、しなびていて、がに股で、猫背で、胸のへこんだ貧相な人々には、全員それぞれ気にかけるべきなんらかの自分の仕事というものがあったことです。
これって、どう捉えたらいいのか。良いも悪いも一緒くたの書きぶり。よく捉えれば、正直と言えるのだろうか。そう、そもそも妹の当てた手紙なので、素直な感想をそのまま綴ったんだろうね。

そして、キリスト教文明と日本人の宗教観の違い。ちょっと長いけど引用。

破綻した宗教の虚構に基づいて創建された天皇玉座、ばかにする人々から見せかけの敬意を受けている国教、知識階級のあいだで猛威をふるう無神論、下層階級にいばり散らす無知な聖職者、頂点にはみごとな独裁支配を、底辺には裸の労働者を持つ帝国、最も崇高な信条は露骨な物質主義であり、その目的は物質的な幸福です。キリスト教文明の成果を改善し、破壊し、建設し、横取りしています。しかしその果実を生んだ樹木はいらないと拒む──このような対比と矛盾がどこへ行ってもあるのです!
ここも結局何を言いたいのか分かり難いんだけど、無神論、神社と仏閣、キリスト教がごちゃ混ぜの日本人の感覚には相当な違和感があったんだろうね。

それでも、北海道の旅はかなりの好印象だったような。

ひと言で言えば、本州ではできないことがすべてできるのである。また調査と観察に関したことから離れても、この人の少ない地には魅力がある。苫小牧─襟裳岬間の太平洋があげる長く悲しげな音、内浦湾付近の荘厳なわびしさ、蝦夷の暮らしの軽やかさと自由。わたしが心を奪われたこういったものは、わたしの蝦夷の思い出をある面で日本で得た最も楽しい思い出にしてくれているのである。
それでも、未開人とか汚いとかいう単語があちこちに出てくるんだけど…。

いや、かなりな辛辣なセリフもあるけど、それこそ外国人からみた素直な表現なのだろうと捉えることにして、その意味で当時の日本人の様子がストレートに伝わってくる紀行文なのでした〜。

イザベラ・バードの日本紀行 合本版 (講談社学術文庫)
イザベラ・バードの日本紀行 合本版 (講談社学術文庫)イザベラ・バード 時岡敬子

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この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」/池上彰

この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」 池上彰教授の東工大講義 日本篇 (文春文庫)』を読んだよ。戦後史は知っておくべし。

東京工業大学教授という肩書を持つ池上彰氏。そこで、教員という立場で戦後史を語るというコンセプトで書かれたもの。だから、タイトルに「この日本で生きる君が知っておくべき」という形容詞句があるわけ。

戦後史というと、日本史の授業では端折られる定番ということになっているけれども、それに関して、池上氏は、

歴史を教える人にとって、戦後史は現代そのもの。自分が経験してきたことは「歴史」と感じません。ところが、自分が経験していない人にとっては、それは歴史なのです。この認識の落差が、戦後史を空白にしてきたのだと思います。
という見解。だからこそ、ここで池上氏が学生に戦後史を語る必要があるんだろうね。そして、もう一つの見解は、今の社会がこうなっている経緯を知ることにもなるからというもの。この意味合いは強いよね。経緯を知らずには理解は深まらないだろうし。

戦後史と言っても、内容は様々。国際問題は、アメリカとの関係が中心にはなるけれども、そこに中国、韓国、北朝鮮の話も絡んでくる。そして、アメリカとの関係から、防衛問題と憲法問題。それが政府の見解に繋がって、政治の話。政治と言っても、政治そのものではなく、政治体制の話が中心かな。

そんな中で、池上氏らしく、チクリとしたコメントを散りばめるよ。
国学力テストの話では、今の制度では前年度との比較ができないことに対し、悉皆調査から抽出調査に変更することを提案し、その上で、

統計学的には、これで十分に意味のある調査ができることを、東工大の学生なら理解できますね。こうした当然のことが実現できないのですから、日本の教育関係者の「学力」が心配になります。
と、かなりグッサリ。でも、おっしゃる通りだよね。

もう一つは、日本国の財政赤字について。高度成長期は国民に「利益の配分」があったがという観点から、

利益の分配ではなく、「不利益の分配」になってしまっているのが現実です。現実を見据え、国民に不利益の分配を認めてもらう。そんな政治家の出現を期待したいのですが。
と。いまだに高度成長を夢見ている人たちが多過ぎるからね。あっ、バブルもそうか。
さて、日本はこれからどうなるのか。まずは、今度の選挙の行方を見守らないと…。
この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」 池上彰教授の東工大講義 日本篇 (文春文庫)
この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」 池上彰教授の東工大講義 日本篇 (文春文庫)池上 彰

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百姓たちの江戸時代/渡辺尚志

百姓たちの江戸時代 (ちくまプリマー新書)』を読んだよ。現代とそれほど変わりはなく。

江戸時代の普通の人々の暮らしについて、事例を多く盛り込んで詳しく紹介する本。ここで、普通の人々とは具体的には百姓のこと。網野善彦先生によると、「百姓とは農民にあらず」ということだけど、本書を読むと確かにそれは言えるんだろうなぁ〜と思えてくる。勿論、農業が主たる収入源だったのは確かなんだけど、それ以外にも様々な活動を行っていたことが本書を読むと分かるよ。

さらに筆者の考える百姓と農民との違いを、

農民は原始・古代以来存在していましたが、十五世紀頃まではその経営は不安定で、安定した家産を継続的に維持することは難しく、したがって家も広範には成立しえなかったのです。江戸時代は、百姓が一般的に家を形成したという点で、日本史上画期的な時代だったといえます。
と表現しているよ。そう、家という観点から百姓と農民は違うんだよね。

そして、実際の人々の暮らし。衣食住や娯楽、病気、介護や所属する村や村民との付き合いなど、資料をベースに詳しく説明しているよ。これを見ると、その手段は違えども、今の我々の生活とそれほど変わりがないような…。

最後は百姓一揆について。江戸時代の後期になると訴状の用例集のようなものが流布し、それを元に一揆の訴状が作られるようになったとか。こういうものが読めたり書けたりするようになったのも、寺子屋による教育の成果なんだろうね。

百姓を侮るなかれと思うし、学ぶべき点が多くあるということを知ることも、歴史を学ぶ意味があるんだろうね。

百姓たちの江戸時代 (ちくまプリマー新書)
百姓たちの江戸時代 (ちくまプリマー新書)渡辺 尚志

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仕事。/川村元気

仕事。』を読んだよ。単なる「仕事」ではなく。

心から「仕事がしたいです」と叫びたいほどの仕事。それを筆者は、

そんな仕事を僕は「仕事」ではなく「仕事。」と呼びたい。
と言う。そして、その「仕事。」を見つけるために、日本の12人の巨匠たちにインタビューした記録が本書。ちょっと、芸能系に偏っているのが、???なんだけど。筆者は川村元気氏。やっぱり芸能系の人だから、こういう人選になるんだろうね。

いろいろな人がいろいろなことを言っていて、それぞれがまたウンウンと頷けるような言葉なんだけど、これだけの言葉があると、どれを自分の中に取り込んでいったらいいかという点で食傷気味になるのは致し方なしか。

とは言え、何人かの言葉を以下に紹介。
まずは、山田洋次監督。「男はつらいよ」の企画を通した時の話。松竹の城戸会長は「男はつらいよ」の企画を買っていたわけではなかったのに、映画化が決まったことについて、

僕がやりたがっていることが大事だと思ったんじゃないかな。
と山田監督。川村氏も「誰かが強烈にやりたい企画であることが大事。」とコメントしているよ。そう、やっぱり企画ではなくて、熱意ってことだよね。

続いて、作家の沢木耕太郎氏。彼は編集者にわがままや無理を言ったり、経費の精算もきっちりやることの理由について、

でも、それは自分の自由度を増すための作戦でもあるわけ。そういうことで借りをつくって不自由さを引き受けたくないし、どうやって自由に生きるかってことがずっと大事だったから。
と説明しているよ。おっ、自分的にはこの思想が好き。しがらみにがんじがらめって最悪だよね。

最後は写真家の篠山紀信氏。この人の言葉は、

でもさ、仕事なんて昔話を聞くより、一緒にやっちゃったほうが、よっぽどずっと学べるよ(笑)。
とズバリ。さすが、世界の巨匠は単純明快だよなぁ〜。

さて、どの言葉が腑に落ちたか。いや、そんなことより、自分の「仕事。」を見つけないと…。

仕事。
仕事。川村 元気

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爆笑問題の日本史原論/爆笑問題

爆笑問題の日本史原論 (幻冬舎文庫)』を読んだよ。本を読んで笑ったのは久しぶり。

タイトルの通り、筆者は爆笑問題。実際に書いているのは太田光ということになっているけど、ホントのところはどうなんだろ。

内容は完全に日本史。日本史での出来事を漫才風に展開していくんだけど、いつものとおり太田のボケが半端じゃない。本を読んでいながら、笑ってしまうって…。しかも、唐突的に太田が本質的なことを言い出すこともあり、田中が右往左往するのも、漫才と同じシチュエーションかな。

で、歴史の面白さ。それは資料によって、事実と思われていたことが突如として変わってしまうということ。そう、小学校で習ったことが今ではまったく否定されていたなんてことをよく聞くよね。だから、有名な「大化の改新」も真実はどこに?という感じみたい。

そこで、実は「大化の改新」などなかった!『書記』の編纂者による虚構だったのだ!という説さえ唱えられ、長年にわたって論争が繰り返されてきた。厳密にはまだ決着はついていない。だが通説は「あった」と「なかった」との中間にある。
ということになる。真実を知ることが出来るのだろうか…と思ってしまう。

そして、メディアとの関係。縄文時代の発掘で、誤報があったことを取り上げ、

きっと、縄文時代は進んでいたってことにしない欲望が勘違いさせたのだろう。「進歩的」な新聞だからだろうか。たぶんそれは、今日の縄文ブームの深層に潜んでいる欲望に他ならないのだろう。
と。縄文時代って何となくロマンがあるからね。大昔のことだから、想像ををいくらでも膨らませることができるし。読者も喜びそうだし。

さて、どうやら本書はシリーズ化しているみたいだから、続きも読んでみようかな。ちょっとした息抜きにちょうどいい読み物だよね。

爆笑問題の日本史原論 (幻冬舎文庫)
爆笑問題の日本史原論 (幻冬舎文庫)爆笑問題

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世界を変えた10人の女性/池上彰

世界を変えた10人の女性 お茶の水女子大学特別講義 (文春文庫)』を読んだよ。プラスお茶の水女子大学の学生たち。

『世界を変えた10冊の本』の続編っていう位置づけだけど、今回は趣向を変えて、池上彰氏のお茶の水女子大学大学での臨時授業をまとめたもの。だから、話し言葉が続き、読みやすい。その都度の学生の反応も分かって、面白いし。

内容はタイトル通り。10人の女性を取り上げて、如何に世界を変えたのかを解説したもの。10人のうち3人は自分的には未知の人だったのが、ちょっと悔しい。

ここでは10人の女性について書かれた内容を取り上げるのは控えておく。その代わりに、池上彰氏の教員としての指導の部分に注目してみるよ。大学生はどう考えるべきなのか、大学生の勉強とはどういうものなのかを示唆する部分が多々あったので。

例えば、「はじめに」では、

私はこれから色々な話をしますが、どうかそのまま受け止めないでください。歴史観、女性観、職業観などには、どうしても生身の個人である私が出てしまいます。あなたはあなたで、「池上はこう言っているけれど違うのではないか」などと、引っかかりをいっぱい持ってほしいのです。それが実はとても大事です。
と批判的精神を奨励しているよ。その例として、本書のタイトルがどうして「世界を変えた10人」ではなく、あえて「女性」なのか…とか。そう、「女性」としたところに社会的な問題がありそうだからね。

もう一つは、本書に登場する10人の女性の評価について。ある女性の評判は別の側面からみると良くないということに触れて、

素晴らしい人だという話を聞こうと思っていた人には驚きかもしれません。しかし、人間には美点もあれば欠点もあります。丸ごとを受け入れた上で、人間としてどうか、あるいは歴史的にどう位置付けるか、という評価をしなければいけません。そういう態度が、自ら学ぶ大学生としては必要なんじゃないかと思い、あえてみなさんのイメージに冷水を浴びせるところから始めた次第です。
と、歴史の味方についても示唆しているよ。確かに、歴史はある一つの側面からしか見ていない場合が多々有るからね。

本書の最後は、学生のレポート講評会を収録。ここでも切磋琢磨される重要性を説いている。大学生の授業としては理想だよね。そう、池上先生の白熱教室なんだよね。楽しい授業に参加させてもらった気分でした〜。

世界を変えた10人の女性 お茶の水女子大学特別講義 (文春文庫)
世界を変えた10人の女性 お茶の水女子大学特別講義 (文春文庫)池上 彰

文藝春秋 2016-05-10
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近代化と世間/阿部謹也

近代化と世間―私が見たヨーロッパと日本 (朝日新書)』を読んだよ。阿部先生からの最後のメッセージ。

結語の日付が2006年7月10日。阿部先生が逝去されたのがその年の9月。最後まで本書に朱を入れられていたというから、本書はまさに絶筆の書。200頁ながらの新書だけれども、先生の50年余の研究からの総決算を論じているよ。副題は「私が見たヨーロッパと日本」ということで、欧州と日本について章を分けて述べるという構成。

まずは西欧について。
個人の成立、二つの宇宙、キリスト教、賤民などのキーワードがあるけれども、それらが密接に関わりあい、西欧の社会を形作ってきたことが分かるよ。二つの宇宙の狭間で賤視された人々が生き、そこにキリスト教の影響が及ぶ。

人々は未だ森の霊や死者の軍勢を信じ、生き続ける死者の存在を信じ、さまざまな迷信の世界に生きてきた。しかしキリスト教はそれらを徐々に掘り崩しつつあったのである。
というように、二つの宇宙は否定され、ひとつの宇宙に収斂していくことで、徐々に賤視も無くなっていくと。そして、これをベースに日本の社会を考えていくわけ。

そこで、阿部先生はもう一度「世間」の問題を考える。

日本においては個人と「世間」との関係の中にさまざまな問題の原点が隠されており、民主主義を実現しようとすれば、少なくとも個人が「世間」から自立しなくてはならないことは明らかである。
と力強いご発言。世間では、「時間が止まっている」し、「無感覚である」とも。これは一般社会に限ることではなく、政治も大学も。

最後に、

自己の変革なくして、社会の改革などありえない。
と。阿部先生の恩師である上原先生も「解るということは、自分が変わることだ。」と言っていたことを思い出すような言葉。忘れられないフレーズになりそうだなぁ〜。
近代化と世間―私が見たヨーロッパと日本 (朝日新書)
近代化と世間―私が見たヨーロッパと日本 (朝日新書)阿部 謹也

朝日新聞社 2006-12
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