超AI時代の生存戦略/落合陽一

超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト』を読んだよ。シンギュラリティは来ないような気がしてきた。

副題は「シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト」。本題の「生存戦略」と合わせて考えれば、「落合陽一流これからの生き方」という感じ。でも、相変わらず落合陽一氏の本は難易度に波がある。本書は箇所によって難易度が急に上がったり、ある箇所は平易だったり…。

では、これからの生き方について、どんな風に考えているのだろう。
まずは、こんなセリフから。

先の述べたように、「AIはAIとしての仕事を、人間は人間らしいクリエイティブな仕事をすればいい」という論調が僕は嫌いだ。
このカッコ内の言葉は皆が一様に言う言葉だけど、落合氏が言うように、結局何をしたらいいのか分からない…ということなんだよね。じゃ、クリエイティブな仕事って何?って言われたら何も答えられない。だって、AIだってかなりクリエイティブな仕事をするからね。

そして、落合氏が提唱するのが、「ワーク“アズ”ライフ」という概念。

そこで、なるべくライフとしてワークする。つまり、余暇のようにストレスレスな環境で働けるように環境を整えていくということが重要である。
ワークライフバランスは既に使い古された単語になってきたけど、いつでもどこでもネットで繋がる時代に、ワークとライフを分断しよう(バランスを取るとはそういうこと)なんて、土台無理な話なのかもね。

さらに一歩進んで出てくるのがブルーオーシャン

今、この世界で他人と違うのは当たり前で、他人と違うことをしているから価値がある。もし、他人と競争しているならば、それはレッドオーシャン(競争の激しい市場)にいるということだ。つまり、競争心を持つというのは、レッドオーシャンの考え方で、そうではなくて一人一人がブルーオーシャン(未開拓な市場)な考え方をしなくてはいけない。
確かに、ライフを活かすというのはそういうことかもしれない。ライフは個人で異なるわけだし、それを活かすことはブルーオーシャンの世界だよね。
そうだ。AIにライフはないんだ。人間らしくってそういうことなのかな…。

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これからの世界をつくる仲間たちへ/落合陽一

これからの世界をつくる仲間たちへ』を読んだよ。何がどこまで変わるかは分からない。

前作『魔法の世紀』ではわけわからん状態だった落合陽一氏。それでも、読んでみたいという気にさせるのは、自分自身がまだまだ知りたいという欲求があるんだろうと思う。どうして、21世紀が魔法の世紀なのかということについて。

そういう欲求が強かったんだろうと思う。もっと分かりやすく、しかもこの21世紀を支えていく若い人たちに対してのメッセージを…という感覚で本書は書かれたのだろうと思う。『魔法の世紀』より、格段に分かりやすい論調だったから。

本書の内容をひと言で言ってしまうと、帯に書いてある「戦いのルールは、変わり始めている。」がテーマかな。コンピュータ、インターネットが世界を変えているのは事実だけど、人の営みまで変えるのは時間が掛かる。その営みが変わってきているのが21世紀なんだよね。

だからこそ、「魔法をかけられる側」ではなく、「魔法をかける側」で生きることが必要なのだと、筆者。それこそが、暗黙知を持つクリエイティブ・クラスという人たち。

暗黙知を持つクリエイティブ・クラスにとって人工知能環境は、自らの欠点や他人で代替可能なタスクを行ってくれる第二の頭脳であり、身体です。彼らには人工知能は自らの存在を脅かす敵ではなく、自分のことをよく知っている「親友」となるはずです。
ということ。そう、単なるホワイトカラーは、自らの存在を脅かされることになるからね。

そして、クリエイティブ・クラスは専門性には拘る。

何より「専門性」は重要です。小さなことでもいいから、「自分にしかできないこと」は、その人材を欲するに十分な理由だからです。専門性を高めていけば、「魔法を使う側」になることができるはずです。
と筆者。これも単なるホワイトカラーではダメな理由になるよね。ブルーカラーが「魔法を使う側」ということもできるはず。少しでもそこに近づいていきたいなぁ〜。
これからの世界をつくる仲間たちへ
これからの世界をつくる仲間たちへ落合 陽一

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AI vs. 教科書が読めない子どもたち/新井紀子

AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を読んだよ。さて、自分は読めていたのだろうか。

筆者は東ロボくんプロジェクトの推進者である新井紀子氏。本業は数学者だったとは…。ということで、AIは何ができるかという観点では、随所に数学的な見解が示されているよ。その東ロボくんについて、東大に合格するロボットを作りたかったわけではなく、

本当の目的は、AIにはどこまでのことができるようになって、どうしてもできないことは何かを解明することでした。そうすれば、AI時代が到来したときに、AIに仕事を奪われないためには人間はどのような能力を持たねばならないかが自ずと明らかになるからです。
と筆者。なるほど、目的は分かった。でも、AIって限界があるのだろうか…。筆者が後述するように、数学的には論理、確率、統計という言葉だけで成り立っているコンピュータには限界があるという理屈。それ故に、シンギュラリティも来ないと断言しているよ。最近、シンギュラリティで頭がオーバーフローした自分的にはちょっと混乱。

で、後半はAIの話を受けて、「教科書が読めない子どもたち」の話。AIは「意味を理解しない」のだから、人間こそ意味を理解できなければならないんだけど、どうやらそこがアヤシクなってきているのだと。その点を十分な調査の上で、

読解力こそ、AIが最も苦手とする分野であることは、この本の中で再三述べてきました。しかし、残念なことに多くの人が、AIに対して優位に立てるはずの読解力で、十分な能力を身につけていません。さらに、日本の教育が育てているのは、今もって、AIによって代替される能力です。
と言っているよ。う〜ん、中高生は本当のこんなレベルなのか…。これじゃ、大学受験レベル以下のような気がするのだが…。

筆者的な結論。

重要なのは柔軟になることです。人間らしく、そして生き物らしく柔軟になる。そして、AIが得意な暗記や計算に逃げず、意味を考えることです。
と。そう言われると、分かるような気がする。意味を考えずに、機械的に処理しようとする人間が気になるこの頃だからなぁ〜。
AI vs. 教科書が読めない子どもたち
AI vs. 教科書が読めない子どもたち新井 紀子

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リベラルアーツの学び方 エッセンシャル版/瀬木比呂志

リベラルアーツの学び方 エッセンシャル版 (リベラルアーツカレッジ)』を読んだよ。教養でないのは確か。

本書のオリジナル版があるのは知っていて、気になってはいたんだけど、あの大きさにたじろぎ、あきらめモード。と思っていたら、そのエッセンシャル版が出た〜とことで早速に手に取る。

リベラルアーツ」とか「教養」とかが、キーワードとして気になるんだけど、そもそも論として、この2つの違いは何か?ってところから始まると思うんだけど、筆者曰く、

そのような意味で、考える方法や感じる方法の生きた蓄積であるリベラルアーツは、個々人みずから考え、発想し、自分の道を切り開いてゆくための基盤として、まず第一に必要とされるものではないかと思います。
と。そう、単なるインプットされただけの知識ではなく、考えていくための基盤となるものなんだよね。でも、自分的にはこれは認識済み。

そして、リベラルアーツを身に付けるための方法論。

自分の世界の方法とほかのさまざまな世界の方法との間に、また、人々の生き方の方法との間に、新たな橋をかけ、そこに共通するものを探るためには、視点の移動と並んで、先のような「方法の転用」が非常に重要なのです。
自分的にはこの考え方が好き。何の関係もないと思っていたことが、ある日突然に橋が架かって、新たな視点が開ける。それを次に応用していく。いいよね。

後半はリベラルアーツを学ぶための書物の紹介。
実はこれに期待していたんだけど、どうもレベルが高過ぎて、付いていけない感じ。

最後にこんな記述も。

この宇宙が「ある」というのは、考えてみればそれ自体一つの奇跡であり、ある意味では、僕たちは、奇跡の中に住んでいるのです。そして、あらゆる種類のリベラルアーツは、その奇跡の一端にふれようとする人間の企てだともいえます。僕たちがそれらから学びうるのは、単なる発想や方法にとどまらず、もっと深いものでもあるのです。
これは、まさにリベラルアーツ的な発想と発言だよね。自然科学から一般論に橋を掛けているよね。いいなぁ〜。
リベラルアーツの学び方 エッセンシャル版 (リベラルアーツカレッジ)
リベラルアーツの学び方 エッセンシャル版 (リベラルアーツカレッジ)瀬木 比呂志

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魔法の世紀/落合陽一

魔法の世紀』を読んだよ。20世紀型人間には理解不能

近頃話題の落合陽一氏。どうして話題なのか分からないけど、本屋の平台に何冊も山積みになっていることが多いから。
ということで、自分的にはとりあえず読んでみるということ。当然、最初の著作を選んでみるということで本書。

では、その内容はというと…。
まずは20世紀は「映像の世紀」であった。それが21世紀は「魔法の世紀」なのだと言っているよ。いや、分からないと思う。冒頭で筆者は、

内部のテクノロジーが意識されないまま、それどころか究極的には、装置の存在そのものが意識されなくなったときに初めて、テクノロジーは社会や我々人間それ自体を変えるようになるはずです。
と。そう、これこそが「魔法」。技術が魔法になるくらいなレベルって、ちょっと想像の域を出るけれど、分かる人には分かるんだろうね。ちなみに、ここでいう技術とは基本的にはコンピュータの話。

で、筆者のもう一つの顔であるメディアアーティストの話になると、もっと訳が分からなくなる。

しかし、コンテンツよりもメディア自体がアートとしての価値を持つ。メディアと表現の境目がどんどん曖昧になっていく時代においては、先ほどの乳幼児の例で出てきた原初的な感覚、すなわち「原理のゲーム」の方が大きく台頭してくるのではないでしょうか。
うん、「映像の世紀」ではコンテンツがアートだったけど、「魔法の世紀」ではメディアがアートになるってこと。自分的には「ふ〜ん…。」としか言えないんだけど…。

最後に「デジタルネイチャー」という概念。

なぜなら、人間はデジタルネイチャーの世界においては、せいぜい計算機で処理されるアクチュエータであり、認知的なロジックを持ったコンピュータにすぎないからです。
となる。多分だけど、人間中心主義ではなく、人間とコンピュータを対等なものとして位置づけ、より一般的な捉え方をしているのだと思うよ。でも、残りの人生、「魔法の世紀」に付いていけるかなぁ〜。
魔法の世紀
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シンギュラリティは近い[エッセンス版]/レイ・カーツワイル

シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき』を読んだよ。人類は加速度的。

『シンギュラリティ・ビジネス』を読んで以来、気になるキーワード「シンギュラリティは近い」。『シンギュラリティ・ビジネス』では、本書を取り上げて、何度も「カーツワイルによれば、」というセリフが登場するよ。ということで、その原典を読んでみたというわけ。
とは言え、本書は「エッセンス版」という位置付け。原書の邦訳は『ポスト・ヒューマン誕生』という分厚いもの。洋書って、記述がしつこいものが多いから、この「エッセンス版」で十分かも。

で、本書の内容はというと、タイトルではピンと来ない。原書の邦訳本も同じ。分かりやすいのは「人類が生命を超越するとき」という副題。原書の邦訳本は「コンピュータが人類の知性を超えるとき」というもの。そう、後者の方が分かりやすい副題だよね。もっと端折ってしまうと、シンギュラリティ時点で人間とコンピュータは融合してしまうだろうという話。

では、実際に筆者はどう言っているか。

シンギュラリティとは、われわれの生物としての思考と存在が、みずからの作りだしたテクノロジーと融合する臨界点であり、その世界は、依然として人間的ではあっても生物としての基礎を超越している。
ということ。いや、これは完全に人間のコンピュータ化。その区別がつかない世界に到達するということを言っているわけだから。

もう少し具体的にいうと、身体はハードウェア化され、その精神はソフトウェア化される。ナノボットというコンピュータが身体の中を流れ、(ハードウェアの)不具合を見つけ、調整する。脳の中身はスキャニングされ、ダウンロードも可能となる。もちろん、他の身体にアップロード可能というわけだ。
そして、最後はハードウェアも消滅する。筆者曰く、

最終的に、ソフトウェアをベースとする人間は、今日われわれが知っている人間の厳しい限界を大きく超えるものになる。彼らはウェブ上で生きていき、必要なときや、そうしたいと思ったときには体を映し出す。その形態は多様で、VRのさまざまな世界を舞台とするヴァーチャル体、ホログラフィで投影された体、フォグレットが作り出す体、ナノボットの大群やその他のナノテクノロジーの形態で組織された物理的な体などがある。
と。いや、そんな世界が2045年に来るのだろうか。そう、それは確実に来る。人類は加速度的に進化しているのだから。あ〜。
シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき
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クラウド時代の思考術/ウィリアム・パウンドストーン

クラウド時代の思考術―Googleが教えてくれないただひとつのこと―』を読んだよ。タイトルに異議あり

しかも、副題が「Googleが教えてくれないただひとつのこと」だから、なんとなく『〈インターネット〉の次に来るもの』を想像するのは必然。でも、本書の内容はちょっと違う。
テーマは「ダイニング=クルーガー効果」。それは、

知識や技術にもっとも欠けた者の特徴は、知識や技術の欠損をまったく理解できないことだ。
ということ。そう、Googleで検索すれば、知識は簡単に手に入る時代。だからこそ、知識を持つ必要はないのか?という疑問が起きる。だから、本書は、
事実を簡単に調べることのできる世界にいて、なお事実を知ることに価値があるのだろうか?この本はこうした単純な質問に答えを出す試みである。
ということに。

では、筆者は何をしたか。それは世論調査の手法を使い、知識と所得の相関関係を調査すること。本当にどうでもいいようなちょっとした知識を質問項目として上げてみる。そして、その人の所得との相関関係を分析するわけ。例えば、歴史の教科書によく出てくる人物の写真を提示し人名を答えさせるとか、ビックマックのカロリーはどのくらいか?とか。

この相関関係の話が延々と続く(400頁のうち300頁位上はその話)んだけど、知識は必要なのか?という冒頭の命題の結論はというと…。そう、やっぱり、知識は必要なんだと。その理由も長いんだけど、例えば、

広い知識の持ち主は、恐ろしくひどい決断をすることはまずなさそうだ。それは彼らが全体を見渡していて、自分が知らないことを、はっきり述べることができるからだ。
と。いや、これってイメージ的には理解していることだよね。まぁ、知識は必要なことには間違いない。なんでも検索できる時代でも、その文脈は知識がないと理解できないわけだからね。
それにしても、長かった…。
クラウド時代の思考術―Googleが教えてくれないただひとつのこと―
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